執着を手放して軽やかになる

だいぶ時は遡りますが

病気と診断されるほんの少し前に

ご挨拶に伺った氏神様に手を合わせている時

ある言葉を受け取りました。

3つありましたが
そのうちの一つをご紹介します。

(個人的な内容だったのですが
 参考になる人もいるかも知れないと思ったので
 お伝えします)

それは

“物に溢れた生活をするべからず”

というものでした。

自分でいうのも何ですが
私はもともと綺麗好きで

身の回りの物から各部屋の掃除片付け
目に触れない収納・引き出しの中まで

綺麗に整理整頓していましたので

“物で溢れ返っている状態”ではありませんでした。

何が言いたいかというと

「物に溢れた生活をするべからず」

この言葉が意味するところは
掃除や片付けという分野のことではなく

『物』に対する考え方について…

になります。

私は身の回りの『物』をとても丁寧に大切に扱います。

ただ単純に自分の好きな物・質の良いものと
暮らせることが嬉しいので大事にするのですが

そのせいもあって『物持ち』がとても良いです。

気に入った物を長く使うことに喜びを感じる
タイプだと思います😊

物を大事にすることは
ある意味良い面と捉えることも出来ます。

ただその反面

選りすぐりのお気に入りの『物』に対する思い…
そんな愛着が執着に変わることがある…

(本人はそんなつもりはなかったのですが…😅)

病気をしたことでそのことに気付きました。

「死」というものに直面した時

この私の身の回りの物…どうなるのかな🙄?

死んで魂に戻ったら…
あの世に持っていけるわけではないし…😳…

こだわって、愛着をもって、大事にしてきたけど
この物たちは一体なんだろう?

ずっと持っていられない…

ということは…

実は私の『物』ではない⁈…🙄(うん?)

自分が所有しているように見えるけど…🤔
(確かに…現象界ではそう見える…)

‼😲‼

私は初めから何も所有していない

ということに改めて気付いたのです。

死んだら何も持ってはいけない…

頭では
「そんなの当たり前じゃん‼」と思いますが

実際に“腑に落ちる”と
理解の度合いが全く異なりました。

お金💴に関しても同じです。
(これについてはまた別の機会にお話ししたいと思います)

『物』はこの現象世界(=物質世界)の『物』であり

(天・宇宙)から与えてもらい

そしてお預かりしているもの。

その与えられた『物』によって

この現象世界がより豊かに感じることが出来る

とても有難いものです😌🙏

けれど、私たちの所有物ではないし

まして執着するものでもないのです‼

それが頭ではなく体感で分かってしまったので

私の『物』に対する考え方が一瞬にして変わりました😊

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